2024.3.30(土)_能登半島地震被災地支援

志賀町で災害ごみの片づけ作業をしました。

能登半島地震から3ヶ月たった、3月30日、石川県羽咋郡志賀町(しかまち)へボランティアとして、会員3人で支援に行きました。会として災害地に出向くのは、集中豪雨を受けた岡山県倉敷市以来、6年ぶりになります。

 

能登半島西岸にある志賀町は人的被害が103人(死亡2人、重傷7人含む)で545戸が断水している町です(2月20日現在)。当日、志賀町災害ボランティア本部から指示された依頼事項は2件でした。午前は老夫婦が住む民家、午後は石垣が崩落した神社でした。午前の民家は雨漏りで濡れたふとんと木くずを軽トラに積む作業をしました。災害ごみ集積地の場所に辿りつくのに時間がかかったものの2往復の運搬で、依頼された作業は完了しました。

 

午後は、我々ボランティアの出発に手間取り、神社と集積地とのピストンは1回で時間切れとなりました。崩落したブロックや石はまだまだ大量に残っています。軽トラは愛知県の男性が自分の車を供与したものです。運転手の活動時間はフル稼働でしたが、積み込み要員は待ち時間が長かったので疲労感はありませんでした。作業そのものは、スカをくらった感は否めませんが、八尾山の会3人の現場がたまたまそうだったという事に過ぎません。

 

この日、志賀町で行動したボランティアは個人ボラ62人、団体ボラは5団体59人、地元ボラ4人で合計121人でした。関西蛍雪山岳会の方も団体参加されていました。121人のなかには作業が大変な現場もあったでしょう。ボランティアへ指示や資材の手配する本部は、各県の社会福祉協議会から集まった人たちです。本部に聞くと約30人おられるとのことでした。大阪からも河内長野市、和泉市の社協職員がいたようです。いろいろな人に支えられて少しづつ復興がすすんでいる、気の長い活動がいるんだと肌をもって実感しました。

 

1月27日に八尾山の会として、石川県災害ボランティア本部に事前団体登録をし、それから数度、メールで活動申込みをしました。しかし、先着者優先ですぐに締め切られるので、なかなか実現できずにきました。年度末になってようやく実施にこぎつけた経緯があります。第二次の支援活動もメンバーを替えて実施していく予定です。

 

写真はボランティア本部となった志賀町文化センター。